588~593日目【アルゼンチン】Ushuaia (ウスアイア)へ パタゴニアの風に勝つ 南米終了

2015年1月17日~22日
南米終了までの戦いと出会い。


 今回は一日ごとに追った詳細な書き方はしません。そこは簡単にして、何を考えながら走ったかをなるべく書きたい。6日分なので長いです。ちなみに587日目はリオガジェゴスでだらけただけなので割愛します。

 さて、南米が終わったんですよ!

ヽ(^o^)丿ヤッター!!!

584~586日目【アルゼンチン】Rio Gallegos (リオガジェゴス)へ パタゴニアの風と戦う 超疲労の3日間

2016年1月13日~15日
縦横無尽の強風と戦う、耐える走行3日間。

風除けで休憩

 エルカラファテを出て次の目標はアルゼンチン東海岸のリオガジェゴス。西風が主なパタゴニアにあって東へ向かうのだから、追い風吹かれて2日で行けるかも、という期待は崩壊。

581~583日目【アルゼンチン】El Calafate (エルカラファテ)にて ペリトモレノ氷河へ行く

2016年1月10日~12日
ペリトモレノ氷河へ、個人でバス旅行。


 エルカラファテでは宿にこもって、オーストラリア行きの飛行機や観光ビザ申請など、ネットで色々やってました。観光らしいことはペリトモレノ氷河を見に行ったくらい。

579~580日目【アルゼンチン】El Calafate (エルカラファテ)へ パタゴニアの風と戦う2日間

2016年1月8日~9日
台風並みの向かい風だった。これがパタゴニアですか。

名山フィッツロイと共に

 エルチャルテンからエルカラファテまでは226km。大きな登坂も無いし、日は長くて走行時間もあるし、2日で走破したい。あとはパタゴニアの風次第。

577~578日目【アルゼンチン】El Chaltén (エルチャルテン)へ トレッキング後半戦

2016 年1月6日~7日
ハードワークなトレッキング道を越えてエルチャルテンまで。


 チリのアウストラル街道終点の町オイヒンス。そこからフェリーで湖を渡り、トレッキング道が始まりました。チリ側を越えてアルゼンチンとの国境に到着したところ。

【6日: トレッキング道を越え、野宿】
 さて、アルゼンチン側トレッキングは本格的。入り口からして獣道の様です。チリ側はまだ自転車に乗れる区間が多かった。ゴールのデシエルト湖まで、どうなることやら…


 随分端折ってますが、川、泥、沼、池、倒木、クレイジーフライなど困難多数。自転車に乗れるところもあるにはある。ただしフルサスMTBで走るような道。


 川は深いところあります。泥はタイヤやブレーキ、靴にねっとりくっつくタイプ。クレイジーフライはいつまでも追ってくるしつこさ。この道は諦めを持って臨むしかなさそうです。


 数々の困難を越えて見えてきたデシエルト湖とフィッツロイ。クレイジーダウンヒルで下って行き、アルゼンチンイミグレに着く。17時。


 11時半からチリ側含めてのトレッキングを開始したので5時間半掛かりました。この区間をなるべく早く越えるには、自転車で走るということを諦めないこと。


 フェリーの最終便 (17時半)に間に合ったのは幸運。イミグレでスタンプ貰って、乗り込む。料金は480ペソ。年々値上がりしているみたい。

 と言っても、最近のアルゼンチンペソは暴落しているので大差無い。1月少し前は1ペソ12円だったのが今は8.5円。原因はおそらくUSドルの闇レートが無くなったことかと。実質公定レートと同じになった時から暴落が始まりましたから。

 フェリーに乗り込むとチャリダー多数。私と同じく今日トレッキング道に挑んだアメリカ人サイクリストから「突破おめでとう!」「やればできるもんだね!」とワイワイしました。

 フェリーで対岸へ渡りました。キャンプ場も良いですがワイルドキャンピングの機会が多いので、せっかくのパタゴニアですから野宿場所を探して先へ。



 船着場から10kmくらい先と思います。良さそうな広場を見つけたので端にテントを張って本日終了。川で自転車の泥を落とし、ウッドガスストーブで焚き火調理をすると、長かった苦労も過去のこと…

マリアさん、今日もよろしくお願い致します

 治安は問題ないみたい。この広場にはマリアさん居ますし。キリスト教はともかく、私はマリアさんのファンです。マリアベアっていうテディベア作ろうかな。受胎告知バージョンとかで、ガブリエルベアと共に。

走行距離: 10km
(トレッキング道は距離不明のため加算せず)
積算走行距離: 21995km

 
【7日: El Chaltén (エルチャルテン)へ Casa de Ciclistas泊】
 今日は野宿場所から28km先のエルチャルテンまでだからのんびり朝飯食ってから出発する。10時撤収。


 エルチャルテン以降はウスアイアまで舗装路になるし、オーストラリアも舗装路しか走らないし、今日でおそらく今旅の未舗装路が終わる…ことを祈る。

 この最後の未舗装路を「もう今日で終わりなんだなぁ…」などと一切噛みしめることなく、早く終えたい一心で走る。


 サクッとはいかなかったけれどエルチャルテンに到着し、インフォメーションでCasa de Ciclistasの場所を聞きました。受付の兄ちゃんが慣れた様子で場所を示したということは、聞きに来るチャリダーが多いのだと思います。



 ここのCasa de Ciclistasは無料です。ですからネットは当然ありません。シャワーとキッチン使えるだけでもとても有り難い。テント泊でした。

 オーナーのFlorさんによくしてもらえました。到着早々、紅茶とパンとハムをご馳走させていただき、Torta Fritaという手作りおやつも貰いました。

テントに猫が入ってきた

うつろうつろして、寝てしまった

 さて、エルチャルテンのスーパーは青果の質が悪いし、全体的に価格も高い。パン屋は悪くなくて、チリに比べるとかなりの質向上。エンパナーダからクッキーなどのおやつ系もある。




 エルチャルテンには用が無いので、1泊だけしてエルカラファテへ向かいます。

 エルカラファテではいよいよウスアイアが近くなってきたということで到着予定日も定まる。

 そこでシドニー行きの航空チケットとダーウィンから日本への帰国チケット、オーストラリア観光ビザのためのETAS登録、ペリトモレノ氷河の観光をします。自転車のタイヤはボロボロではありますが、状態を見て買い換えるか決めます。ウスアイアまで保たせるかもしれません。

走行距離: 28km
積算走行距離: 22023km

577日目【チリ】Lago O'Higgins (オイヒンス湖)からアルゼンチン国境 トレッキング前半戦

2016 年1月6日
長く厳しい一日が始まる。エルチャルテンへの道中、前半戦。


 朝6時に起床して撤収作業開始。オイヒンスから8km先のフェリー乗り場に8時までに行く必要があるからです。




トレッキング開始の船着場

 40分くらいで到着しました。私が一番乗りで、その後に続々とチャリダー達が集まってきました。ブラジル、フランス、チリ、ドイツ、アメリカ。多国籍です。これだけ集まるとなかなか心強い。


ここの湖は国境線で分かれていて、チリではオイヒンス湖、アルゼンチンではサンマルティン湖と呼ばれ、名が2つある

 約3時間で対岸へ到着し、荷物をまとめてトレッキング開始。船着場からいきなり登り、1~2kmでチリイミグレ。スタンプぽんで出国完了。さて、大変なのはここからですよ。

 部分的に走ることはできますが大抵は押して歩く。傾斜半端ないのは言うまでもなく、峠頂上のフィッツロイの見える場所まではタフネス。

 しかもクレイジーな大きめのハエどもがウザい。刺してくるんですよ。

 ただ、このクレイジーフライは警戒心が薄いのか反射が鈍いのか、服や荷物に止まったところでタオルでびしばし叩くと簡単に倒せる。勝った!…のも束の間、次々に現れるから実にイライラさせられる。


 フィッツロイが見えると感動ものでした。頑張って登ったご褒美であり、もっと近づきたいと先へ進む力が湧いてきました。この場所からは自転車に乗れる。そして国境着。

林道を抜け

不安な橋を渡り

国境線到着

アルゼンチンへ

 アウストラル街道で実践しているのは、傾斜のキツイ坂とは勝負しないということ。歩いて登ります。いちいちこんなのを相手にしていたら体力の無駄。この実践によって道中は体力の浪費少なく、アルゼンチン側トレッキングへ進めたのでした。

 走行距離不明のため、積算に加算しません。たぶん数キロですし、大した問題でもないので。

576日目【チリ】Villa O'Higgins (オイヒンス)にて フェリーチケットを買う

2016 年1月5日
のんびりキャンプとフェリーチケット。雑談。

中央広場。近くのBiblioteca (Library)にフリーWIFIあり。繋ぐとパスワードのページに飛ぶので、入館してねえちゃんにContraseña (パスワード)を聞く

【フェリーチケット】
 Robinson Crusoeという会社にしました。他にあるのか分かりません。昨日予約しておいたので、料金を支払いに行きました。

573~575日目【チリ】Villa O'Higgins (オイヒンス)へ アウストラル街道の終わり 最後にして最大の難関

2016 年1月2日~4日
Very difficultな峠越え5つ。アウストラル街道最大の難関を越え、遂に街道終了。


 コクランからオイヒンスへは226kmあって、中間地点でフェリーに乗ります。峠越えは前半125kmで1つ、後半101kmで4つあり、いずれも難易度は高い。アウストラル街道最大の難関と言えるでしょう。

569~572日目【チリ】Cochrane (コクラン)にて 年末年始の過ごし方

2015年12月30日~2016 年1月1日
栗きんとん、天ぷらそば、かまぼことわさび漬け…年末年始だけ日本に帰りたい。


 今年の年末年始はチリの南部、アウストラル街道にある町、Cochrane (コクラン、コクラネ)にて迎えることとなりました。

 海外にいると日本の凄さが分かります。例えば教育水準、食、モラル。これらのレベルの高さが分かります。はっきり言って圧倒的です。

567~568日目【チリ】Cochrane (コクラン)へ 高橋せんまるさんに遭遇

2015年12月28日~29日
日本人チャリダーに出会うと嬉しいね!高橋せんまるさんに再会。

【28日: Puerto Bertrand (ベルトランド)へ】

 トランキーロから1km先のキャンプ場から出発。天候は微妙で、降ったり止んだり。テントを乾いた状態で仕舞えたのは良かった。

565~566日目【チリ】Puerto Rio Tranquilo (トランキーロ)近くのキャンプ場へ

2015年12月26日~27日
取り敢えずは進む。年末年始どうしようかな…

【26日: 河原野宿】

 セロカスティージョからトランキーロへは未舗装路でだいたい120km。2日ですね。風は少ないものの雨降っているので、なんだかなぁな気持ちで出発しました。

564日目【チリ】Villa Cerro Castillo (セロカスティージョ)にて 風の壁に押し戻される

2015年12月25日
チャリダーにはクリスマス関係ありませんので走ります。でも押し戻され、酒をあおられる。へスースがクリスマス休暇を強要。


 晴れてる!行くしかないじゃない。

「しかしめっちゃ風強いな。取り敢えずトライしてみるか」

 セロカスティージョ山の頂で雪が飛ばされているほどの風です。周囲の木々を見ても折れそうなほど曲がって騒いでいます。普通、こういう時は走らない。

「クリスマスだし、ここまでの中南米の旅ではへスースの加護もあって無事に走って来れたから休んでもいいけど、少しでも先に進みたい」


セロカスティージョ。もうもうと雪煙立ってます

テディベアの住むキャンプ場だった

 強烈な向かい風の未舗装路を頑張って進みました。押して歩いて坂道を上る。3, 4km進んでさらに強くなり、しばし呆然とした後…


「こりゃ今日無理だわ」

 という結論に至る。風で小石舞い、顔に当たってめっちゃ痛い。今旅最強の向かい風。立ち止まって倒れないように耐えるのが精一杯。次の一歩が出ない。

 あと7kmくらい先にキャンプ場があるみたいです。そこまで頑張っても良い。でも本当にあるのか確実ではないし、ストアのある所と無い所ではある方が良い。ということでセロカスティージョに戻ることにしました。

 戻る道中カップルのサイクリストに遭遇しました。

「Hace mucho viento. Muy fuerte. (風めっちゃ強いよ)」

「No pude correr. Regreso a cerro castillo. (俺走れなかったわ。今日はセロカスティージョ戻って様子見る)」

 と言いました。カップルは、

「Vamos a probar. (俺達はトライしてみるよ)」

 と言いますので私は「Cuidate mucho. (よく気を付けてね)」と握手して見送りました。

 欧米人はタフですからね。たぶん突破するでしょう。私はこういう日は進まない。脱ストイックしたいし、さすがに今日の風は様子見したい。

 西風ですね。それが山間に沿って吹いている。流体力学では、同じエネルギーを持っている流体 (今回では風)でも、広いところを流れるのと狭いところのでは、狭いところのほうが速く流れることが分かっています。イメージとしては、狭いほうが単位体積あたりのエネルギー密度が高いから、流体の速度も速くなるということ。狭い山間に吹く風は速く、強烈なわけです。

セロカスティージョの町へ


さて、どうしようかな

 ということで追い風を受けてセロカスティージョに戻ってきました。この時にも2組ほど欧米人と見られるサイクリストが先へ進んで行きました。彼らはどこに泊まっていたのでしょうか?

 彼らが来たと思われる方向へ進んでみるとキャンプ場がありましたので、今日はそこに泊まることに。1泊4000ペソです。場所は町の一番奥です。

この看板が目印。世界のいろんな都市までの距離が書いてある。Tokyoありますね


 風除けになる場所にテントを張って、コーヒー飲んでのんびりして買い出し後、キッチンへコーヒー器具を洗いに行くと、別のお客さん達10人くらいに食事を勧められました。サーモンとジャガ芋煮とサラダと、鶏の焼き肉です。クリスマス祝いをしているみたい。Gracias!ありがたい。

 食べているとワインを勧められ、食べ終わるとウイスキー。それを飲み終わるとさらにもう一杯。飲め飲め〜という勧めかた。

「何このウイスキー半端ない。度数何度?クラクラする…」

 お酒は普段飲みませんが強い方なんです。ウイスキー2杯目を飲み終わると「Quieres más?!!! (もっとか?!)」とさらにもう一杯、ハイテンションで勧めてくる。

「あの兄ちゃん危険だわ。俺の酒の減り具合を逐一チェックしておる」

 「こりゃヤバイ」という直感。酔っ払い共を相手にするのは危険です。眠いからという理由でワイワイ盛り上がっている会場からどうにか逃げ出し、テントへ避難する。

きっついわ…

 フラフラと小便へ行くと自分の息子を掴んでいる感覚がない。あのウイスキー、飲んでいる間舌が痺れてたし、息子にまで影響するなんて思わなかった。メタノールじゃないだろうな…(エタノールは飲んでも酔うぐらいで済みますが、メタノールは失明などとても危険です。戦時中に酒の代わりに飲まれていたそうな)

 トイレがちょうど飲み会の近くにありまして、酒飲んで小便が近いのでトイレに行く回数が増えるんですけど、行くたびに誘われます。飲もうぜ、歌おうぜ、踊ろうぜ〜。ギター弾きながらのダンスパーティーやってます。

 テンション高い人達苦手です。逃げる一択。これにて本日終了。

 今日へスースはクリスマスを理由に私を風で押し戻し、キャンプ場でご機嫌な連中をぶっ込み、強制お祝いをさせました。つまりゆっくりしろということでしょう。でもまぁ、ありがとうございました。これからクリスマスはゆっくりします。アーメン (-_-)

【近況報告】1級時計修理技能士になっています【仕事・趣味・旅行】

もう自転車旅行から帰ってきて8年半も経つとは驚きで早すぎると思うし、一方で旅の記憶は少しずつ薄らいできており、この点で年月の経過を感じる。 だからこうしてブログとか、Youtubeに旅の様子を残してきて良かったなと思う。苦しいことばかりだったと思うが、今ではいい思い出。 さて現在...