565~566日目【チリ】Puerto Rio Tranquilo (トランキーロ)近くのキャンプ場へ

2015年12月26日~27日
取り敢えずは進む。年末年始どうしようかな…

【26日: 河原野宿】

 セロカスティージョからトランキーロへは未舗装路でだいたい120km。2日ですね。風は少ないものの雨降っているので、なんだかなぁな気持ちで出発しました。

 で、町を出てから結構上っていくんですよ。標高差は大したことないのですが、傾斜がね、ドSなんです。汗かいて服は濡れ、雨降ってレインウエアも濡れ、全身びしょ濡れです。


 バス停で昼飯休憩していたら体は冷えて、雨風が強くなるわ、めっちゃ凍える。アゴが震えて歯がガチガチ。時折陽が一瞬出てくるので晴れる期待をして1時間粘りました。陽があれば暖かくなる。でも、

「期待できんかな。体温めるには走るしかない」

 立ち止まると寒くなる。体は濡れても走っていれば寒くない。走り続けるしかない。という結論に至る。



 川沿いの走行を終えて山間の走行になると、30kmくらい先のLagunaまでずっと上っていました。この間陽が出て暑くなる。数時間前まで寒さで震えていたのに、今は汗ダラダラです。アウストラル街道はウェアの選択が難しい。


 このLagunaから下りに転じてすぐ先に河原があったので、ここで本日終了。泥だらけになった自転車と荷物を綺麗にして、焚き火調理で火を見る。暖かい。苦労が消えていく。

走行距離: 61km
積算走行距離: 21580km


【27日: Puerto Rio Tranquilo (トランキーロ)へ キャンプ場泊】

 未明は強めの雨に降られて、朝起きるとインナーテント内に浸水してました。厄介ですね。


 濡れたテントを撤収して、今日はトランキーロという町を目指す。マーブルカテドラルという観光名所があるようですが、No me interesa (興味ない)なので、買い出し後キャンプ場へ直行します。

 ヘネラルカレラ湖手前で「Hey!!! Quieres café? (へい!コーヒー飲むか?)」と声をかけられたので、濡れた体の寒さからお誘いを受けました。ちょうどこの時に雨脚が強くなったというのもあります。

 男性二人。ここ南部パタゴニアにセカンドハウスを建てているとのこと。建築の知識は無いものの、神に助けを求めたらアイデアが降ってきたそうです。1年前から独学で作り始め、まだ施工中ではあるもののなかなか立派。




 あまり写真は撮らなかったのですが、洒落てる。柱は普通木の皮を剥いだりするものですが、チェーンソーで切ったそのままの丸太を使っている。トイレ・シャワールームも自分たちで施工中、さすがに便器は既製品ですが。裏に畑も作り、ソーラー発電で電気を賄う。裏山に沢があって水はそこから得る。自給自足を目指しています。

 ここで暖炉にあたりながらコーヒー、目玉焼き2つ、手作りパンを頂きました。彼らはカトリックで、LOVEに基づいて旅人をもてなし、宿泊もさせているようでした。

小屋からの風景

 そしていつしか宗教の話に。幸せは何処にあるのかという話、良い事と悪い事の話、新約聖書のススメなどです。

 彼らは今幸せであると言いました。幸せの所在と得方を理解しているとのこと。

 ただ私からすれば、宗教にせよ哲学にせよ、何らかの信仰心を持っている人が知らなければならないことは、幸せになった時には、信仰心は捨て去るべきものであるということです。例えば、

「激流を渡るために筏を組んで、上手く彼岸に渡り終えたなら、もはや渡るべき激流は無く、筏はすっかり用を成し終えたので、捨てたらいい」

 激流とは人生の苦悩、筏とは信仰と実践、彼岸とは幸せを指します。

 信仰というものは幸せという目的に至るための手段であるから、幸せになってしまったらもはや用はないわけです。要らないものは持っていても仕方ないので捨てる。捨て去ることが筏に対して成すべきことを成したと言えるということです。

 ゴータマ・ブッダは、「お前たちは私の教えをよく聞いてきたが、最終的には捨て去るように」と、上記の激流と筏のたとえをもって教えています。さらに臨終の間際には「自己に頼れ、法に頼れ」とも教えています。結局この世で頼れるのは神仏ではなく、唯一自身だけなのであるとも言っています。

 幸せになった人には信仰心も哲学も智慧も不要なわけです。それらは既に体現されている (幸せになっている)から用が無いのです。

 もしたった今死ぬ人が信仰心を持っていたなら、その人は結局幸せになれなかったか、あるいは幸せになっているにも関わらず未だ筏を背負っている人です。前者は実践が足りなかったか。後者は渡るべき川は無いのに筏を背負っていて滑稽です。

 彼らは自分たちは幸せであると言いましたが、信仰心を捨て去っていない以上、私には彼らが幸せであるという確証が見当たりませんでした。体現しているのなら、もはや聖書や神は必要ないということです。行いに自然と現れるので、神の言葉を意識して施しを行う必要がないのです。

 さて、泊まっていけという誘いを受けましたが、ここに泊まると以降の走行スケジュールが中途半端というか、町を経由した安定走行というものができないのでお断りしました。



 ヘネラルカレラ湖に着くとその色の特異さと美しさに目を奪われました。湖底に大理石があって、それが原因で特異な色を発しているとのこと。水の色自体は透明で、飲んでみたら普通に美味しい水です。



 トランキーロに着いてキャンプ場を探すも見当たらなくて、インフォメーションに聞いた場所、トランキーロから1km先のキャンプ場へ行きました。1泊7000ペソ。ちょっと高い。

いつも通りにウッドガスストーブを焚く


ナポレターナファンが見たら絶句する光景。ススだらけになる

 トランキーロの町のとある宿の入り口に、リマで出会った高橋せんまるさんの自転車を発見していたんですよ。明日の走行で会えるかも知れませんね。

走行距離: 62km
積算走行距離: 21642km

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