558~559日目【チリ】Coyhaique (コジャイケ)へ ようやく着いた大都市

2015年12月19日~20日
比較的楽な道中。キャンプ生活始まる。


【19日: 野宿】
 天候は悪くない。青空が見えるし雨も降ってない。テントをさっと畳んで出発。大都市コジャイケまで2日かかる予定。


 今日の行程は走るだけ走って野宿。Villa Manihuales (マニワレス)を過ぎた先にある分岐で舗装か未舗装かの選択があるが、迷わず舗装を行き、その先で野宿場所を探したい。







お花男子

 下げていく道。そんなに苦労無くマニワレスに到着し、飲み物とエンパナーダを買って立ち去る。


 前述した分岐の道で舗装路を進み、良さそうな隙間を見つけたのでテントを張って終了。まぁ特別何もない日だった。こういう日は珍しくないけども。

 最近はお花に興味湧き、テディベアが趣味で、編み物もいいなぁと思っている。趣味が完全に女子。

走行距離: 77km
積算走行距離: 21359km


【20日: コジャイケ キャンプ場泊】

 雨天で濡れたテントを畳んで出発。西風が吹いていて、Puerto Aysén方面への分岐までは向かい風が強かった。そして寒い。

雨天、気温低く、濡れた衣服。寒い

 淡々と走り進めてコジャイケ手前にある峠越えまでくると、突然心に火が着きました。

「足つかずに上りきってやる」


 実際は予想外なトンネルの出現を写真に収めるために止まりましたが、休憩はこの一度きり。標高は160mくらい上げてましたか。キツめの傾斜でしたけど頑張れました。

もうすぐクリスマスか


 コジャイケに着くとまずインフォメーションを訪ねました。でも日曜日なのでやってなかったんですね。シティマップが欲しかっただけで、目当てのキャンプ場の所在は予め調べてあるので問題無い。


場所はこの辺

 キャンプ場はNattiという知る人ぞ知る人気キャンプ場。1泊5000ペソでWiFi、ガス式お湯シャワー、キッチン付き。着くと既に3組いて、私の後にさらに3組、計7組がテントを張っている状況になりました。

「こりゃ早め早めだな。キッチンを使うのもシャワー浴びるのも」

 混雑する上に、彼らの使った後のシャワー室は何でこんなにびしょ濡れやねん、シャワーカーテンあるのにどうやったらこんなにびしょびしょになるん?って言うほどだから先に使いたいし、特にキッチンは欧米旅行者は長時間占有する傾向にあるので、彼らより先に使うというのが鉄則。

 何に長時間掛かっているのかと言うと、まず調理が遅い。例えばパスタを作るにしても、食材を刻んで炒めてソースを作ってから、パスタを茹で始める。パスタを茹でつつ、同時進行でソースを作れば調理時間は半分になるはず。

 次に食べながら3時間くらい喋る。その間使用した調理器具は洗わない。満足するだけ喋ってから片付けを始める。調理開始から終了まで4~5時間掛かっていて、ずっとキッチンにたむろする。

 これが彼らの習慣。楽しく調理して、楽しく喋りながら食べて、楽しく終える。如何に自分達が満足いく食事をするかということ。周りの人達の思いを察するということはしない。察する文化そのものが無い。気持ちはハッキリと口に出して伝えるという文化なのだから、邪魔なら邪魔と言わない限り基本退かない。逆に、言えば退いてくれる。

 多くの日本人宿が日本人専用として存在している理由はここにあります。施設の利用法の文化に大きな違いがあり、多くの日本人は欧米人の使い方が気に食わないらしい。察する文化とは気遣いとも言える。これの有る無しが日本人と欧米人に大きな隔たりを作っている。

 バックパッカーホステルのような欧米人たくさんの所に泊まるときは郷に入っては郷に従えです。日本人の文化なんて微塵もないんですから、日本人のものの考え方を捨てる。郷を尊重せず日本人の価値観で文句を垂れる者が、日本人海外旅行者にはよく見られる。海外旅行の目的は異文化体験でもあるだろうに、海外にいる間は日本人の価値観を捨てないと、異文化にどっぷり浸かれない浅い体験になると思う。あるいは寛容の精神。これがあると、欧米人達の施設や道具の扱い方が新鮮に見えてくる。結構おもしろい使い方してるんですよ。

 脱線しましたが、Nattiキャンプ場に3泊します。明日はホームセンターでテントを見て買うかどうするか決めます。

走行距離: 62km
積算走行距離: 21421km

557日目【チリ】Villa Amengual (ビジャアメングアル)から8km先のキャンプ場へ

2015年12月18日
結構がんばれた日。湖畔の無料のキャンプ場泊。


 ポツポツと雨が降っています。延泊しても虚しいだけだし、今日は燃えてます。雨だろうがなんだろうが、とにかく走りたくてしょうがない。




 今日の行程はまず未舗装路、大きめの峠越え (500m)があって、下り切ると舗装になる。そしてビジャアメングアル手前に大きめの上り。プジュワピからアメングアルまでの走行距離は84kmくらい。キャンプを予定。

 道中いくつも土砂崩れ跡がありまして、つい最近できたもののようでした。怖くてさっさと通過したかったので写真は撮ってないのです。崩れやすくなっているでしょうから、十分気を付けましょうね。


 峠越えがキツめでした。九十九折りの道でジャングルを上っていきましたが半端ない傾斜。ダンシングして上る。景色は良いし、可愛い草花とかを撮りながら上ったらキツイながらも苦労はしませんでした。

 最近植物を撮るのにハマっていまして、雄大な景色が売りのアウストラル街道で撮った写真の多くが草花です。






 雪山とかそういうのどうでもいいってわけじゃないんだけど、撮る優先順位は低くなってます。

 さてアメングアルに着くと足ぱんぱんで、一瞬ホテルかなぁと考えましたけど、ここからさらに8km先の湖にキャンプ場があるみたいなので、買い出しだけ済ませて立ち去りました。




 Laguna de las Torres。湖畔のキャンプ場に着きまして管理人を探しましたがいません。どうやら無料みたいですね。管理人がいれば溢れかえったゴミ箱を放置するはずがないでしょうし。

 ここにはトイレが無いので小便はそこら辺でするしかない。野糞は我慢して、これはなるべくトイレでしたい。

 排泄はトイレでするのが基本。一方で排泄物は自然や昆虫にとっては栄養分になるし、本来の自然循環とはそういうものですが、ヒトには美学とかモラル意識があるので、緊急でもなきゃ野糞・野小便はしちゃいけません。するにしてもヒトは美学を重んじて、穴を掘って埋めておくとか悪臭の出ないように。

 読者にはどうでもいいことですが、スペイン語のDucharという動詞。意味は「シャワーを浴びさせる」。「させる」ということなんだと今知りました。「浴びる」ならDucharseで使わなきゃいけない。Quiero ducharだとシャワーを浴びさせたいです、という意味になるので、相手からすれば誰に?ということになる。

走行距離: 95km
積算走行距離: 21282km

554~556日目【チリ】Puyuhuapi (プジュワピ)へ 雨、雨、雨

2015年12月15日~17日
プジュワピ缶詰3泊。早く進みたい気持ちと、進みたくない弱気。

雨天で冷たい湖。寂しさを感じた

 アウストラル街道を走行中。今回はLa Junta (ラフンタ)からPuyuhuapi (プジュワピ)を目指します。

【15日: Puyuhuapi (プジュワピ)へ】

 ラフンタから舗装路で20数km進むとまた未舗装路になりました。そして雨が降り出し、急傾斜アップダウンが続く。

このくぼみが厄介。自動車の通行で出来たもので、大抵写真のようにまとまってできる。ひとつできるとまたひとつというように増えていくのでしょう。

キツイな。寒いし…

 今日はプジュワピから17km先にあるキャンプ場を目指していました。でも雨降ってるしどうしようかなと走り進めていると、プジュワピ入り直前の下り坂でパンク。しかも珍しくフロントが。

「これはプジュワピで終えろという神のご意思か」

 などと勝手に解釈してホテルを探しました。実際は単にパンクと疲労と雨で心折れたというだけのことですがね。

 この町のインフォメーションにはフリーWifi飛んでます。ホテルは町に入ってすぐに目に入ったこの宿。



 1泊8000ペソでWiFi、キッチン、ガス式のお湯シャワー。

 案内されたシングルの個室は狭いのですが居心地良くて、昼寝したらぐっすりでした。


 この町のパン屋は一見閉まってますが、呼び鈴鳴らすと開けてくれます。ストアは価格普通、品揃えも悪くない。レストランもあるし一通りのものは揃ってます。

走行距離: 48km
積算走行距離: 21187km


【16日: プジュワピにて】


 さて出発するか、今日は90km先のVilla Amengualだ。と出発準備をしていると雨が降ってきました。この時なぜか溜まった疲労を意識しだす。準備中は気にかけなかったのに。これは…

「…もう1泊して様子を見よう。この先もしばらく未舗装路だし」


 心折れてもう1泊。すると"運が良い"ことに嵐になりました。この延泊に関して自分を納得させるだけの理由ができました。


【17日: プジュワピにて ②】

 未明から雨が降り続いていました。

「あ~こりゃもう1泊だな!」

 完全に弱気。

 延泊分の代金を支払ってゴロゴロしていたら雨が止んでしまいました。雲の隙間から青空が…

「…(^_^;) 自転車のメンテナンスでもするか。ブレーキシューとチェーンの交換を」


 天気予報を信じるべきでしたね。この日以降は降水確率が低かったんですよ。雨の降らない日は貴重だというのに走らないムズムズ感。

 進むと辛いのは分かっています。進まなければ楽ですよ。でもその反対もある。道のりは辛くても進むと楽になることもある。

 宝石の道とか、アウストラル街道とか、ひとエリアの括りで数日かかる行程ないし目標を持っている時には、進むほうが楽。目標の達成に時間がかかるほど、精神的に辛くなる。

 さて、部屋でゴロゴロしながらYoutubeを観る虚しさったらない。スペイン語の勉強にも熱が入らない。

 スペイン語に関してはチャリダーである限り伸びしろは知れていますよ。大部分の時間が喋ることのない走行中や野宿で占められているんですから。だから頭の中で仮想して会話するしかない。

 やはり本格的に極めようと思うなら、旅後にシェラかリマかどちらかに行って、現地で学ぶしかない。

552~553日目【チリ】La junta (ラフンタ)へ アウストラル街道始まる

2015年12月13日~14日
治安の良いアウストラル街道。でも一応様子見の走行。鹿のたとえ。


 プエルトモントから夜行フェリーでチャイテンに到着、午前8時。チャイテンに用は無いので滞在せずに先へ進みました。

 アウストラル街道の町やワイルドキャンピング等のデータは以下のワードファイルが役立ちます。クリックするとダウンロード開始します。

Carretera Austral Cycling Guide

551日目【チリ】Chaitén (チャイテン)へ フェリー詳細

2015年12月12日
プエルトモントからチャイテンへ。


【12日: フェリー船内泊】
 今日はフェリーに乗る日。出発は夜の23時。乗り込みは21時半から始まります。

550日目【チリ】Puerto Montt (プエルトモント)にて フェリーは明日運行 暇つぶしに博物館見学

2015年12月11日
フェリーは土曜日出港だと?無料の博物館で暇つぶし。興味深い内容で満足。

これはなかなか怖い…

【11日: ウロウロする】
 ホテルをチェックアウトしてフェリーチケット売り場へ行きました。

549日目【チリ】Puerto Montt (プエルトモント)にて テントと服の選定

2015年12月10日
いろいろ揃える日のはずだった。

【10日: ウロウロする】
 まずテントです。ドマドームがボロになったので新しいテントを買おうと、ショッピングモール内でDoiteというブランドのテントを見ました。

「Andina、andina、あれもか。Andinaしか無いのね…」


547~548日目【チリ】Puerto Montt (プエルトモント)へ チリ入国 頑張って走る日

2015年12月8日~9日
チリ入国は時間が掛かる。アウストラル街道の始点、プエルトモントへ。

【8日: Entre Lagos (エントレラゴス)へ キャンプ】

 アルゼンチンのバリロチェから峠を越えてチリとの国境をまたぎました。チリの入国管理事務所 (Aduana)は峠から23km先です。さぁて、どうなるかな…

546~547日目【アルゼンチン】出国、チリへ

2015年12月7日~8日
アルゼンチン出国。チリへのアンデス越え。

【7日: 野宿】

 バリロチェのPeriko's hostelから出発。朝食は食べ放題なので腹一杯にしておきます。普段あまり飲めない貴重な牛乳をシリアルにドバドバかけて摂取し、あとはパンをギュウギュウに詰める。

544~545日目【アルゼンチン】Bariloche (バリロチェ)にて 湖・博物館・街並み

2015年12月5日~6日
バリロチェで休養。博物館見学。


 私の巡った程度ではありますが、アルゼンチン有数の観光地のひとつであるバリロチェを写真にて振り返ろうと思います。

540~543日目【アルゼンチン】Bariloche (バリロチェ)へ 草原を越え、Back to Andes

2015年12月1日~4日
アンデスへ帰る。バリロチェへの終盤戦。アルゼンチン最大の観光地へ。


 結果からいえば予定通りにバリロチェに着きました。リオクアルトから15日間、1356km (グーグルマップ計算)。休養日を除けば13日間なので1日平均100kmオーバー。素晴らしい。滞在が楽しい所なら、この結果は素晴らしくなかったろう。

 今回はネウケンからバリロチェへの終盤戦4日間です。

【近況報告】1級時計修理技能士になっています【仕事・趣味・旅行】

もう自転車旅行から帰ってきて8年半も経つとは驚きで早すぎると思うし、一方で旅の記憶は少しずつ薄らいできており、この点で年月の経過を感じる。 だからこうしてブログとか、Youtubeに旅の様子を残してきて良かったなと思う。苦しいことばかりだったと思うが、今ではいい思い出。 さて現在...