529~532日目【アルゼンチン】Santa Rosa (サンタロサ)へ 真っ直ぐ南へ400km

2015年11月20日~23日
パンパを疾走。第一目標。

パンパ、大草原

 リオクアルトからバリロチェまで14,5日掛かるでしょう。目標を3つに分けてそれぞれの達成を目指します。今回は第一目標のサンタロサへ、4日間で行きます。

528日目【アルゼンチン】Rio cuarto (リオクアルト)にて 天候悪化延泊

2015年11月19日
急いでいるのに、天候悪化。雷雨と強風。つまらん内容なので小ネタ雑談。

リアルドラえもん 超人類

 朝起きると雨が降っていました。多少降るくらいなら問題あるまい、しかしかったるいなと、出発しようか悩んでいました。朝食後には出発の意志が固まって、気合を入れていこうと準備をしようとした時、雷鳴轟く。出発の意志が揺らぐ。

524~527日目【アルゼンチン】Rio Cuarto (リオクアルト)へ スケジュールが押している プラン見直し

2015年11月15日~18日
今回は走行記録はともかく、スケジュール変更。ががばば

退屈な道。眠くなるが、路側帯の無い道で居眠り運転は100%死ぬ。たぶんひたすら真っ直ぐなのは単に最短で町を結ぶためと、有事の際に滑走路としての使用を考えているのでは

 15日はAlta Gracia (アルタグラシア)からTancacha (タンカチャ)へ、その翌16日はGeneral Cabrera (ヘネラルカブレラ)。さらに翌17日はRio Cuarto (リオクアルト)。

15日: 94km
16日: 93km
17日: 55km
18日: 休養日
積算走行距離: 19273km

523日目【アルゼンチン】Alta Gracia (アルタグラシア) チェ・ゲバラ博物館

2015年11月14日
アルゼンチン人の保養地、アルタグラシアへ。チェ・ゲバラが育った家を観に行く。

このマリア像は私にとって最高

 アルゼンチンの保養地はAlta Gracia, Mar del Plata, Barilocheなどがあります。この内特に有名な所はMar del Plataです。コルドバからブエノスアイレスへ予定9日間で行きますが、途中にアルタグラシアがあるので寄っていきます。

520~522日目【アルゼンチン】Córdoba (コルドバ)にて 世界遺産イエズス会の教会群を巡る

2015年11月11日~13日
コルドバのメルカドはイマイチだが、カテドラルの凄味が大変よろしい。活気あるセントロを歩くのは、やはり楽しい。

セントロカテドラル

 まぁアレですよ。自己紹介に「ネクタイをして走るダンディズム系チャリダー」なんてこと書いておきながら、最近はめっきりネクタイしていないというね。ネクタイをもっと細身の黒いカジュアルなものにして、タイピンも欲しいのですが中々見かけなくてですね、でもアルゼンチンではワイシャツ派が多いみたいなのでネクタイ豊富と思いますので、ダンディズム系チャリダー復活の時は近いかと思います。

El Tajin (エル・タヒン)のVoladores (ボラドレス)



 メキシコの世界遺産、エル・タヒン遺跡でこんな動画を撮っていたということをスッカリ忘れていました。改めて観ると、この人達凄いことやってます。

515~519日目【アルゼンチン】Tucumánにて ますます下がる運気 スマホを盗まれる

2015年11月6日~10日
あ~ぁ、俺のスマホが遠ざかっていく…気分の乗らない時は運気も悪い。コルドバまでバスで行く。

コルドバ通りにある時計塔

 以前「アルゼンチンが俺を呼んでいる」と書きましたがそれに間違いは無い。公園で愛車と共に休憩していると話し掛けられて応援される (大抵オッサンに)。だから私はアルゼンチンが好きです。しかし全国共通で言えるのは、泥棒は嫌いということ。

510~514日目【アルゼンチン】Tucumán (トゥクマン)へ 雨天向かい風とトラックの水シャワーで消耗

2015年11月1日~5日
どうも気乗りしない。天候も良くない。記事を書く気もしない。どうしたものか…それでも進むしかない。

どうかブッディストにも聖人の加護があらんことを

 Salta (サルタ)から出発します。とても良い街でした。それが理由のひとつなのだろうか?どうもイマイチ出発が億劫です。こういうのは何かの予兆だったりするのですが、初日にその兆しが当たることに…(今回、写真少な目になってしまいました)

508~509日目【アルゼンチン】Salta (サルタ)にて 食っちゃ寝の休養日2日間

2015年10月30日~31日
グータラ食っちゃ寝して太る!大作戦


 痩せ過ぎて困っているのです。ラパス以降痩せる一方で、原因はロクなモン食ってないという事。米・パスタ・缶詰・コーラなど、炭水化物と少しのタンパク質ばかりです。炭水化物なんていくら食っても自転車走らせている内に消費されて体に溜まらない。キャンプ自炊は油ものが少ないですよ。唐揚げ作れれば体重維持はできるのでしょうけど、揚げ物はキャンプでは無理。

504~507日目【アルゼンチン】Salta (サルタ)への道 Day5~Day8 終盤戦

2015年10月26日~29日
ようやく町と呼べる所に着き、雷雲立ちはだかり一時停止し、そしてサルタ到着。

アルパカの天国があった

 Paso Sico (シコ峠)のアルゼンチン国境事務所で1泊しました。出発前に入国スタンプを貰います。もうこういった出入国手続きは慣れたもんで緊張感が全くありません。このついでに飲み水も貰っていきました。

502~503日目【チリ】Salta (サルタ)への道 Day3~Day4 アルゼンチン入国へ

2015年10月24日~25日
舗装路が終わった日。248km続く未舗装路の始まり。


 現在地は特別地名の無い場所。これから先で未舗装路になることは知っているものの、何km先かは知りません。野宿撤収を終えて6km進むと未舗装路に…

「早っ!えぇ~…」

500~501日目【チリ】Salta (サルタ)への道 Day1~Day2

2015年10月22日~23日
宝石の道と同等の過酷な道となる、チリ・サンペドロからアルゼンチン・サルタへの道、序盤。

ボーダーまで209km。距離だけ見れば2日の行程だが…

 チリのサンペドロで休養を取ったにも関わらず、大した回復を得られないまま出発をする完犀。

「一所に長居するというのは故郷でもなきゃ飽きる。エクアドルのクエンカでそれをよく知った。サンペドロは小さい町だし、見所も多くない」

 「宝石の道ショック」と言うべきか、水10リットルと大量の食料を買い込んでいます。正直こんなに必要なのかな?とこの時は疑問に思っていましたが、むしろ足りないくらいだと後々判明するのでした。

ボリビア南部の宝石の道を自転車で走ることとは

ボリビア南部、宝石の道

宝石の道を突破しました。ウユニの町からチリのサン・ペドロ・デ・アタカマまで12日間掛かりました。以降長文となりますが、後続のサイクリストのために私が得た経験を書き記しておこうと思います。

【走行記事リンク】

【道程】
ウユニの道から、アロタ西45kmの宝石の道入り口までは未舗装だが走れなくはない。宝石の道に入ると深砂・がれ場・コルゲーション (Wash board road: 洗濯板のように波打った道)の3重苦の中走行することになる。道後半のSol de Mañana以降は比較的走りやすくなる。道前半では1日1回必ずコケた。大抵は深砂にタイヤを取られたのが原因。

【風】
主に西風で、吹くと強烈。朝は無風、午前10時頃から日没まで吹く。砂埃や砂嵐をよく起こす。

【走行距離】
上記の道と風の影響により、1日20~30km前後が限界。午後2時には走行不可となり、テントを張って終了という日も度々あった。また、空気が薄いために力が出ない。体力の回復も遅い。標高は常に4300~4900mの間にいる。

Day1: 40km (内25kmは宝石の道前)
Day2: 28km
Day3: 20km
Day4: 32km
Day5: 19km
Day6: 31km
Day7: 43km
Day8: 33km
Day9: 58km (San Pedro ゴール: 43km2200mダウンヒル)

【野宿場所】
先達のサイクリストたちが作った防風のための石組みや、廃墟が道中に見られるのでそれらを使う。あるいは大きな岩の陰でも良い。西風対応でテントを張るが、ペグダウンできないので張り縄絶対。設営や撤収時に風が強い時は、インナーテントに重めの荷物を放り込んでからポールを張ると、テントが飛ばされることを防げる。ちなみに車道から丸見えでも全く問題無い。ここに強盗はいない。

【食料と水】
湖は全て塩湖なのでその水は飲めない。水はホテルの洗面や屋外の水道からただで入手可能。ストアの食べ物は高額だが、辺境なので仕方ない。売っているものはお菓子やジュース、酒、缶詰で、米やパスタは無い。Laguna Coloradaのtienda (ストア)は、ツアー客の来る夕方頃に開店するようだ。その他の時間は人が居ないようで閉まっている。ツアーのジープが走り回っているが、話しかけられて水とお菓子を貰う機会が何度かあった。手持ちの食料はこれでもかというほど過剰が丁度よい。

【ホテル】
道前半のHotel tayka del Desiertoというtaykaグループのやっているホテルがある。建物を風除けにテントを張らせてもらおうとしたら、関係客用と思われるドミトリーのベッドを使わせてもらえた。交渉相手は女性で、一泊幾らか聞いたら「サイクリストからお金は貰わない。よく休んでね」との太っ腹な優しさ。ホテル奥の食堂ではコーラと酒を売っている。コーラとセットでスープ・パン・肉じゃがみたいなプレートが付いて20ボリで食べられた。夕食は分からないが、朝食は10ドル (70ボリ)と高額だったので、電熱コイルでパスタを茹でて自炊した。

【その他注意事項】
ガソリンはウユニの町以降補給不可能のため、そこいらに落ちている薪や、ホテル泊まりの際に電熱コイルを使って調理するなど、ガソリンの温存に努めたほうが良い。ただし薪は道後半になると全く落ちておらず皆無。ホテルにも部屋にコンセントが無かったりなどすることもある。

順路は基本的に車の轍に沿って走っていれば迷うことは無いが、時折GPSで位置を確認したほうが良い。

深夜にとてつもなく冷えるため、凍死しないように防寒対策必須。寝袋の中に毛布を入れたり、手袋をしたり、靴下は2重にし、あとはとにかく着増す。ちなみにこれでも寒かった。

重たい物、食べ物や水はリアラック上に置くと重心が高くなってペダリングが楽になる。サイドバックを重くしてはならない。特に宝石の道の悪路では、サイドバックが重いとバッグとラックが壊れる。

【近況報告】1級時計修理技能士になっています【仕事・趣味・旅行】

もう自転車旅行から帰ってきて8年半も経つとは驚きで早すぎると思うし、一方で旅の記憶は少しずつ薄らいできており、この点で年月の経過を感じる。 だからこうしてブログとか、Youtubeに旅の様子を残してきて良かったなと思う。苦しいことばかりだったと思うが、今ではいい思い出。 さて現在...