ウユニ塩湖は別世界。今旅No.1の景色だった |
よく考えたもののまとまらないので、しっかりまとめるよりも思ったことを書き連ねようと思います。これによっていくつかのヒントを、これから自転車旅行をする人に伝えられるかと勝手に思ってます。たぶんまとめるということは微細な事柄や感覚を省いてしまう恐れがあるから、ありのまま全てを伝えるにはまとめないほうが良いのかも知れない。
カナダのバンクーバーを出発した時は、もうすぐゴールする自分を全く想像できませんでした。ものの考え方とか見た目とか、今の自分と全く違うだろうと思っていました。例えばアロハシャツとサングラスで陽気に帰国するだろうなって思っていました。
確かに旅の前後で変わってはいます。でもアロハシャツ着てませんし、少し太った気がするし、ヒゲが濃くなりました。見た目の変化なんてこんなものです、たぶん。とりあえず旅の前後で見比べて確認してみましょうか。
旅前。草津温泉・白根山湯釜にて。きれいな顔してる。まったく汚れてない |
カナダ。旅初めて一週間経ってないとき。まだきれいな顔。緊張してる |
アメリカ・イエローストーン国立公園。旅慣れてきた。シャツをジーンズに入れるというアメカジスタイルに染まる |
グアテマラ・タカハウス。沈没中ですっかりだらける。旅感の一切が消え去る |
ペルー・チュリンにて。旅慣れた感が増す。服は1週間着ないと洗う気にならない |
ペルー・マチュピチュにて。トレッキングコースで満身創痍、でも遺跡観て感動。来てよかった感が半端なかった瞬間 |
ボリビア・宝石の道。12日間シャワーなし |
オーストラリア。ものすごい消化試合感と闘いながら走った。少し身綺麗になってかつ、無駄が省かれ旅慣れた感が最大値になる |
結構変わってましたね、見た目。自分では変わってないって思ってたんですけど、写真を見返すとずいぶん薄汚れてました。こういう変化を見れたということで、自分の写真撮っておいてよかったなって思います。
ペルー・クスコ。メルカドが食天国だった |
さて、ではものの考え方はどうなのか。実はブッディストというのは基本的に仏の洞察法に従っているだけなので、特に変わることがありません。
変わったのは経験値、知恵、そして将来への明確な展望と友人を得られたこと。あとは度胸が付いたかも知れない。知らない人とでも笑えるし、社交性が増したように思う。
ベリーズ・キーカーカー。カリブ海 |
自転車旅行は私にとって苦行林の様でした。自己紹介を読んで頂ければ分かりますが、一部そういったものを求めていたのでこれで良いのです。つまり仏教哲学への理解と自己の向上です。苦しみに対して散々文句言いながらも、今帰国しているというこの事実は、ひとつひとつ、苦難を越えてきたという証です。
チリ・アタカマ |
苦行そのものはただ苦しいというだけで、これ自体に人を成長させる性質はありません。苦行を通して何を感じてどう考えるかという心の反応に成長の性質があるわけで、本来自己に備わっているので外に求める必要がない。ただ人はそれを日常的に引き出すのが難しいので、苦行というツールを利用して引き出しやすくしているということ。
例えば滝行でよく言われる精神統一というのは、滝行で得られるものの前段階の状態なので、精神統一ができたから、頭がスッキリしたからそれで終わりじゃあ何も成長の要素を引き出せてないわけです。滝行がツールとして活用されてないということです。滝に当たるというのは痛いし寒いわけです。こんなことして何になるのかという自問が大事です。自分のやることなすこと生きていることに自分なりの理由を見いだす自問自答の過程が、成長の要素なんです。滝に当たりながら(苦しい思いをしながら)心落ち着けて考察するということです。
グアテマラ・タカハウスのツンデレ、ボビーさん |
仏教哲学というのは実践を伴いますので、人生経験が大事なんです。例えばチベット仏教では、禅問答で敵無しの賢い坊さんがいたとしても、人生経験が少ないとブッダとして認められません。人生経験を得るという点で、その意味で自転車旅行は最適でした。もちろん成長の要素を引き出すツールとしても最高だったと思います。
仏教は言い換えれば、精神コントロールを教えていると言えます。喜怒哀楽の感情に対するコントロール、ポジティブネガティブコントロール。瞑想の意味もひとつには高ぶった感情を一旦落ち着けるためのものです。そうすると見えるものがある。考えることができるようになる。アイデアが降ってくる。
グアテマラ・パナハチェル。観光客向け小物 |
旅の前後の自分を振り返って見えた顕著な変化は、イライラしない、ネガティブにならない、ちょっとだけ自信が付いたということです。
私にとっては雄大な景色より精神面、苦しみとメンタルの変化が印象的な旅でしたね。心の落ち着く位置を知るには、一旦心を大きく揺さぶって環境認識をしなきゃいけない。
例えば、真っ暗な中で自分の立ち位置を知るには、今自分のいる位置に印をつけて周囲を歩いてみる。手探りなら壁があるな、慎重に歩けば床が抜けて穴が空いてるななど色々分かってきます。
心をニュートラルであるためには、今いる場所がニュートラルな地点であることを知らなきゃいけない。だから一旦心を揺さぶる、今いる地点から動かしてみて環境認識をする。真っ暗な部屋の中で部屋の中心を探るという状況を考えてみると分かりやすい。今いる地点がニュートラルであると知るには、あるいはどこがニュートラルなのか知るには…もうお分かりかと思います。
チリ・アウストラル街道 |
景色は今ではアンデス山脈のデカい山々の風景なんてすっかり薄らいで、写真を見て、こんなところもあったなぁって思い出す程度。自転車旅行は成長のツールとして最高でした。自問自答の機会、心の落ち着き場所を知れたというか、新たに得たものや元々あったものの成長、充実した感覚、ハッキリと言えませんが得るもの満たされるものは多かった。
アルゼンチン・フィッツロイ山。パタゴニア地方の象徴 |
最後になりますが、言ってみれば自転車世界一周を達成する必要もなく、上記の成長は得られるものではあります。なので本人には世界一周は大した意味は無いのですが、旅の話を他人にする時には「ハクがつく」肩書にはなります。スケールが大きいほうが聞く身にあっては楽しいでしょう。
だから自身の変化を求めるだけなら世界一周にこだわらず、1地域をディープに過ごすほうがいいかと思います。自転車旅行だと移動手段とセットなのでそれなりの長距離で考えなきゃいけないので、1大陸、あるいは中央アジアからの東南アジアとか、このくらいの大きさの地域単位で2年3年走り回るとか良いかもしれませんね。
⇒自転車旅行は助けられ与えられる奇跡の一期一会
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