442~444日目【ペルー】Cusco (クスコ)へ 激消耗戦峠越え2つ 疲れすぎて声が出なくなる

2015年8月25日~27日
クスコまでの3日間。峠越えハードワークで消耗。ハンガーノック一歩手前まで。

あと3日でクスコだなぁ~。ペルーの最終目的地

 アバンカイからクスコまでは200kmを切っていますが、行程と高低が凄まじいコースなので3日は掛かります。このコースはふざけてないで真剣に取り組む必要があります。クスコまで行ければ、それ以降は高地の平原、多少の上下はありますがおよそ楽になります。

【25日: 標高2300m付近の橋横で野宿】

 アバンカイ (標高2400m)から出発。今日は3940mまで上ったあと、下った先で野宿を予定しています。獲得標高1500mで峠まで35kmくらいなので、越えるまでに6~7時間掛かるでしょう。

アバンカイの街を望む

 LAIVEのチョコレート飲料とパンをフロントバッグに、フロントサイドバッグにミカンと青リンゴを配置、サイクルボトルにはアンデスの美味しい水。そして野宿用の水。万全です。

たぶんあの一番上まで上る

 アバンカイからいきなり結構キツめの傾斜が続きます。1500mを35km掛けて上るということは、走行距離1kmで43m上げるということで平均斜度は4.3%。数字で見る限りは緩いのですが、重い自転車と延々続く坂道と、上りインコーナーの傾斜のエグさとでキツいんですよねぇ…

 交通量は少ないので音楽を聴きながら、時速6~7kmで進み、500m〜2km単位で1分休む。これの繰り返し。体力の消耗は体感70%くらい。一晩で回復が難しいレベルです。




 峠付近になると遠くに雪を被った岩山が見えてきました!おぉーっ、カッコいい!!カナダの走行で雪山に魅了され、あれ以来、1年ぶりですかね。興奮して写真撮りまくって進み、いつの間にやら下りへ。峠を越えました。

 …しかしめっちゃ寒い (´-﹏-`;)。レインジャケットを着てスイスイ下っていくと、ちょっと大きめの町、Curahuasi (クラワシ)に着きました。ホテルありますがスルーして、野宿場所を求めて先へ進みました。

最悪のキャンプ場所認定。虫多すぎ

 標高2300m辺りまで下がって橋があり、その横のスペースにテントを張れそうでした。ただこの場所、蚊ではない小さな虫が無数に舞っていてウザい。しかも刺してくる。蚊よけのクリームを手と顔に塗って少しは寄り付かなくなりましたが、それでもテント内に入ってきます。でももうしょうがない。なんとか一晩、耐えるしかない。

走行距離: 82km
積算走行距離: 16153km


【26日: Izcuchaca (イスクチャカ)でホテル】

 刺してくる虫だらけのキャンプ場所を脱出し、早朝の下り道を進む。よくよく体を見たら両手に赤い点々が計10ヶ所以上、そして後日発覚の両ふくらはぎにも10ヶ所以上刺されていました。ダニ刺されレベルに痒いです。あの虫はなんだろうな。蚊ではないことは確か。コバエのさらに小さいタイプ。一応マラリアの薬を飲んでいるので、細菌性感染症は避けられるはず。

渓流釣りをしたくなる雰囲気だな。アウストラル街道突入前に川釣り用の竿でも自作しようか

クスコまで100kmを切った!ちなみにこの場所は大抵のチャリダーが写真を撮っている

 1900mまで下りると一転また上り。標高は3740m程度まで。始めは緩く、徐々にキツくなっていく。リマタンボという町がありますので、コーラでもクッキーでも果物でも食えるものは何でも、何かしら買っておくことです。買わずにスルーした人からの忠告です。甘く見てはいけません。甘く見てはいなかったのですが…

昼飯にしよう

朝の出発前にオートミールの昼飯を作っておいた

 峠まであと8kmという所で体があまり動かなくなりました。ハンガーノック手前です。手持ちの食べ物はミカンと青リンゴ。腹を満たしかつ、ビタミンを摂るには向いている食材ですが、なにせカロリーが無い。

 運良くストアがあってコーラだけ買えましたが、500ml (2ソル)であって、2リットル (7ソル)は買えず。お金はあるのですが高額紙幣で、小銭は5ソル分だけ。小さな商店はお釣りを持っていなくて、高額紙幣は受け付けません。

 500mlコーラは221kcalと表記されている。あと8kmの峠を越えるには何とかなりそうか。それ以降は下りと平地だし、こちらも何とかなりそう。しかし消耗し過ぎて声が出ない。会話不能状態。

こ、越えた…m(_ _;)m

 峠越え最後の2kmは歩き、どうにか越えて下っていく。Ancahuasi (アンカワシ)という町に着いてホテルを探しました。ここに来るまでの下り道中にホテルありの看板が出ていたし今日はこの町で終えよう。ところが何処にも見当たらず。

「無い。人に聞くこともできない状態では話しかけられない。このまま進んで野宿場所を探すか、ホテルがあればそこに入ってもいい」

 アンカワシに見切りを付けて、暗くなっていく道を先へ進みました。結局峠越えから28km先にあるイスクチャカまで走り、ホテルへ。私の何言ってるか分からない、どもった声をどうにか理解してもらってチェックイン。( ´ー`)フゥー...ともかく何か食べないと倒れる。

デカいパン、4枚+おまけで5ソル。私の手は結構大きいと言っておきます

 店仕舞い間近の店でコーラ2リットルとこの辺りの名物らしいデカいパンを買い、夕飯提供のレストランで腹を満たし、ホテルの部屋でコーラぐい呑みとパンを貪り食う。これでどうにかまともに声が出るようになって落ち着き、就寝したのでした。

走行距離: 90km
積算走行距離: 16243km


【27日: Cusco (クスコ)へ】
クスコ市街入り辺りが違うルートで表示されている。基本は3S号線に沿ってアルマス広場を目指す

 ひと晩明けると体は元気に。筋肉に問題は無く、昨日はハンガーノックだったというわけですね。さてイスクチャカからクスコまでは25kmほど。余裕です。



 クスコINの前に200mアップの登坂がありますが余裕です。今日は気持ちも道も余裕です。

クスコの街を望む



これが有名なスイッチバック式の線路か。何か模型を撮った様な効果が出てる…

 La Casa del Incaという宿に行こうと思います。日本人に定評のある宿ですので。別にHostal Estrellitaという宿もありまして、こちらはCasa de Ciclistasを兼ねているのでこちらもおすすめです。ちなみにクスコには日本人宿がありますが、特にペンション八幡はオーナーが糞だという評判ですので、おすすめしません (クスコ在住の日本人の方に聞きましたので間違いないかと)。

めっちゃ綺麗なクスコのアルマス広場。芝生の維持のためにスプリンクラーが設置されている

カサデルインカへ向かう階段。目の前にして呆然となった。絶望感…

 カサデルインカは急な階段の途中にあるホテルで、過去に泊まったチャリダー達はみんな、ホテルまで自転車を上げるのに苦労しております。皆声を揃えて「不可能」であると。

 そこで私は考えました。上げるのは確かに辛い。なら逆に下ろしたらどうか?急な階段と言えども下りるのは「可能」だろう。

ドンボスコ通りからカサデルインカまでの下り階段開始

階段の両端に注目!

 宿の上のドンボスコ通りからカサデルインカのある階段を降りて行きました。イケる。特に階段の段差の脇、狭いもののタイヤを載せられるだけのスロープがある。これを利用するのです。


 楽勝ではないながらもカサデルインカに到着。正直Estrellitaのほう行けば良かったかなと思いましたが、この宿で良い出会いがあったので結果オーライです。その出会いは後日に。

走行距離: 23km
積算走行距離: 16266km

 昼間に着いて時間があったため、メルカドで食事。晩は夜歩き…




カテドラルと共に


【番外: この道中で考えていたこと】
 当初はマチュピチュに用は無いのでクスコに行く予定も無く、アレキパ行こうと思っていました。アレキパからフリアカ・プーノ、そしてラパスというルートです。

 ただ、母からマチュピチュ観ろよと言われましたのでクスコに来ました。マチュピチュも観ることになりました。結果的にクスコに来たのは良かったと思います。ここからアレキパへは寄れないこともないのですが、山を下りないといけない面倒なコースになるので、アレキパは無しです。

 遡ればグアテマラで今旅を終えても良かったかもしれません。シェラのタカハウスでスペイン語を極めて帰国というのも悪くない。

 その場合自転車旅行ブログは終わるわけですので、新しくブログ立ち上げて収益化するのも良い。Google adsenseとAmazon asociateですね。当ブログにも設置させて頂いておりまして、雀の涙ほどですが収入があります。

 サイト・ブログ運営は今やビジネスでして、複数サイト運営で広告収入を得る、そういうことができる世の中になっています。ちなみに以下のカレーブログも収益化してます。趣味やスキルを収益化するということは素晴らしいことです。

"ターメリック狩野"として暗躍開始

 ウユニ塩湖を観たら今旅の目標が、大きな目標がひとつ無くなります。私の中で50%は占めていた目標です。ウユニ塩湖以降の私は燃え尽きるのでしょうか?今はそれが心配です。同時に、走り出せば新しい目標も見つかるという、根拠の無い確信も自分の心に感じます。

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【近況報告】1級時計修理技能士になっています【仕事・趣味・旅行】

もう自転車旅行から帰ってきて8年半も経つとは驚きで早すぎると思うし、一方で旅の記憶は少しずつ薄らいできており、この点で年月の経過を感じる。 だからこうしてブログとか、Youtubeに旅の様子を残してきて良かったなと思う。苦しいことばかりだったと思うが、今ではいい思い出。 さて現在...