40日目【アメリカ】ソルトレイクシティへ 8900 & 9700フィート峠越え 2連戦

2014年7月19日

トレイルロード

 ソルトレイクシティの東50㎞にあるコールビルという町。この町のBlonquist Motelから9時半に出発しました。朝飯はWheat100%の食パンとリンゴ。この軽めの朝飯が今日の1つ目の失敗です。

 ヒストリックレールトレイルという道を行きます。未舗装の道がパークシティという街まで35㎞続きます。道はデコボコの砂利道。時速10㎞前後でガタガタ進んで行きます。

MTBのライドコースとなっている模様。29インチサスペンションのMTB集団とすれ違いました。この道はパークシティまで延々登りです。登りのオフロードの辛さったらもう…


 パークシティからはいよいよ峠越えです。ローカル190号線を行きます。ソルトレイクシティが5000フィートでパークシティが7000フィートですから、まぁ登っても8000までだろうと、パークシティから休憩無しで突入しました。補給食未購入と休憩なし。これが2つ目の失敗です。

大したことない傾斜に見えますか?貴方、苦労しますよ

 平均斜度10%超、最高15%の峠だそうです。この道造った人は鬼です。ユタ州のロードバイカーの間ではキツくて有名な峠越えだと知ったのは後の事。

 先ずは8900フィートのEmpire Pass。これを越えると少し下ってから9700フィートのGuardsman Pass。パークシティからGuardsman Passまでは10㎞ですが、突破に2時間半を要しました。

 パークシティから休憩無しで突入。直後、いやいや、登れないでしょこの傾斜。自転車から降りて押して登りました。風無しの炎天下で汗がダラダラ、車道に垂れて濡らしていきます。

下界にパークシティを望む。もう8000フィートくらいにいるはずだが

 「どうなってんのコレ。鬼だ。半端ねぇ。いつまでこの傾斜で登んのよ。8000?もう超えてるでしょ」

 自転車に乗れず押し続ける。ゼェゼェハァハァ(´Д`)。頭の中でマーヴィン・ゲイの「Stubborn kind of fellow」や「Hitch hike」を再生して楽しい気分にムリヤリもっていかないとやってられません。Empire Pass終盤には何故か北島三郎の「与作」が再生されたりと、だんだんおかしくなっていく。

 「ダッシャァァァッ!Empire越えじゃァァァァああ!!!ヤッターーーー」

 坂越えの途中、自動車の兄さんに「Are you OK?」と聞かれました。「お…OK.」と返しましたが、もうヤバイっす。頭の中で血の気が引いていくサァッとしたのを感じます。本当は「何か食い物頂戴」と言い返したかった。

 ここで地獄の囁きが。「Guardsmanあるよ」。終わった。もうダメだ。折角Empire登りきったけど、パークシティまで下ってそこで走行終了かなぁ…

 否!ソルトレイクシティに行く!絶対!だってホテル予約しちゃってるもん!

 頭は相変わらずサァッとしてますが、Guardsman Pass突入。50m歩いて休憩を繰り返していく超タフな状況。

 「Guardsman突破じゃああぁァァ……ァァァ…」

 結局自転車を転がせたのは1㎞くらいで、残り9㎞は歩き。完敗だ。呼吸法?重たい旅行車でこの傾斜では効果無いですね。ペダリングを持続できないですから。

 Guardsman Passのてっぺんは見晴台になっていて自動車がたくさん止まってます。私が登りきったウイニングウォークをしているとオジサンが呆然と私を見てました。恐らく、

 「野朗、あの自転車でここまで登ったのか?クレイジーだぜ」

 と思っていたに違いません。見晴台の写真は撮ってません。それどころではなくて、とにかくFoodを腹に入れないと倒れてしまいます。ソルトレイクシティまで27㎞下り一辺倒の間はフードストアしか探してませんでした。景色なんかどうでもいいんです。フードだよ!大事なのは。

 ソルトレイクシティ入りするとセブン-イレブンが。清涼飲料水とチョコスナックという、すぐエネルギーになるものを食べました。復活です。生き返りました。

 あとはWalmartで晩飯を買ってSuper 8 (ホテル)だな。ホテルがサンディ地区にあるため、ローカル190号線の終わりから結局15㎞走ることになりました。

 19時にチェックイン。これで長かった一日が終わりました。峠越えは情報収集して甘く見ないこと。補給食は必須。当たり前のことをおろそかにしたために地獄になりました。

積算走行距離: 3120㎞

0 件のコメント:

コメントを投稿

【近況報告】1級時計修理技能士になっています【仕事・趣味・旅行】

もう自転車旅行から帰ってきて8年半も経つとは驚きで早すぎると思うし、一方で旅の記憶は少しずつ薄らいできており、この点で年月の経過を感じる。 だからこうしてブログとか、Youtubeに旅の様子を残してきて良かったなと思う。苦しいことばかりだったと思うが、今ではいい思い出。 さて現在...